風よ吹け


2002年2月12日  「第6回植村直己冒険賞」


今年で第6回目の「植村直己冒険賞」の記者発表会の司会をしてきました。
ここ数年、毎年司会をさせていただいていますが、そのたびごとに様々なことにトライした冒険家にお目にかかることができます。
私が冒険家にお目にかかれるのは、この機会以外めったにチャンスがないので、おかげさまでいつも刺激的な時間を過ごすことができます。

植村直己さんが生まれ育った兵庫県日高町は、日本海に面した小さな町です。
ここに植村直己冒険館があります。
元の館長さんや現市長さんは、かつて植村さんの同級生でした。
この賞は町が主催して、植村直己さんの精神を継承し、周到に用意された計画に基づいて、強い精神力で未知の世界を切り開き、夢と希望と勇気を与えてくれた創造的な行動に対して年に一度贈っています。

今年受賞したのは、走ってシルクロードを走破した中山嘉太郎さんです。
中山さんは、2000年5月に会社を辞めて、6月には山梨から成田まで走り、それから飛行機に乗って西安に渡って西安から走り続け8月には目標のウルムチに到着しました。約2700qを53日で走破しました。
そのあとは、南米で走り、また2001年6月から12月23日までシルクロードをイスタンブールまで走りました。これは約7000qを152日で走りました。

どんなに過酷で、血のにじむような努力をされて走り込んだのだろうと思いましたが、意外にも
「準備は特にしませんでした。いつも会社に行くとき通勤ランといって往復走ったり土日に走ったりしていましたからその程度で。え。はい」とまじめに、謙虚に語ってくださるのです。でも、もともとがトライアスロンの選手だった方ですので、並の鍛え方とは違うのでしょう。
「ぶっつけ本番でも、走れると思っていました」と実に自然体なのです。
でも、夜明け前に走り始め日没前まで1日50q〜100qを毎日走り続けるのです。
「たいして速く走っているわけじゃありません」とおっしゃいますが、毎日毎日走るのはよほど意志の力が強くなくてはできないでしょう。
さらに、泊まる先も決まっておらず言葉もろくに通じない。心細くて当たり前です。

中山さんは、やさしくて誰に対しても素直に心をオープンになさるお人柄です。
荷を軽くするために、ザックには必要最低限のものしか入れずテントを持っていかなかったため、地元の方のお宅や、消防署や警察、レストランなどで泊めていただいたそうです。
「シルクロードの旅は人が親切だ」というのが一番印象に残ったことだとか。
もちろん、イヤな思いをしたり泥棒にあったり警察に何度も連れて行かれたりご苦労はたくさんあったようなのですが、今中山さんの心にはシルクロードで暮らす暖かい人々の心しか残っていないのです。それは、やはり中山さんご自身の心の現れのような気がします。

仕事を捨てても、「今やらなければならないこと」をやりたかった中山さんの手には一足の靴が握られていました。7000qを走り通した靴です。底のゴムは古タイヤをはがして何度も張り替え、中の敷物もやぶれればつくろい、まわりも修理したあとが見られました。
「ものを大事にしたいから、どうしても一足の靴で走り通したかった」
そこに彼の、周りの人やものや世界に対する優しさがにじんでいるような気がしました。





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